そんなこんなでドヴォルジャーク交響曲解説(前編)
電車の中とかでドヴォの前〜中期交響曲を聴いていたらまたまた感銘を受けてしまったので,先日のTkboneの真似をしてドヴォの交響曲語りをしたいと思います。思えば結局2008年はエルガーと並んでドヴォを聴きまくった年だったので,その総括的な意味も込めて。
やっぱり,その作曲家に真剣に向き合おうと思うなら,せめて交響曲と名のつくものくらいは有名どころだけじゃなく耳を傾けるべきだと思いました。そしてそれが無駄ではないとドヴォルジャークは教えてくれました*1。いみじくも新世界やドヴォ8で御飯食ってるようなプロの人たちが,演奏機会・聴く機会が少ない,というだけで「初期の駄作でしょ」と切り捨てるようなのは正直許せないのですよ。好きじゃないって言うならともかく。
とりあえず「中期三大交響曲」まで。
- 第1番ハ短調《ズロニツェの鐘》(1865年):作曲者が生前,破棄したと思い込んでいたため,自身で実演も聴いておらず改訂もされていない。もし改訂されていたらどうなったろう。
- 冒頭ホルンで掴みはオッケーな感じですね。その後の展開は,どこからどこまでが主題か(わかりやすい後の交響曲に比べると)わかりづらくて,ややつかみどころがない。でも雰囲気はとっつきやすいです。特に第2主題の美しさはさすが。
- 第2楽章は,前述のように金管で乱入する「ベートーヴェンの行進曲に似た」フレーズが素敵です。全体としてもベートーヴェンの緩徐楽章をモデルとしているのだろうか?木管に出てくる音階は第2番第4楽章に似ている。
- 第3楽章は,全4楽章のなかでもずば抜けて完成されている気がします。さすが第3楽章を得意とするドヴォルジャーク(?)。こんなわかりやすい曲が一般に知られてないのはもったいない。
- 第4楽章は,前述のようにどことなくシューマンの影響を感じます(終盤がシュー2)が,よくわかりません。ノイマン・チェコフィル全集の解説によると《グレイト》らしいです。第1楽章よりこぢんまりとした雰囲気の終楽章は珍しい。「第3楽章で盛り上がりすぎてしまい,第4楽章で若干手詰まりになって無理やりテンションを上げる」というのはドヴォの十八番。
- 第2番変ロ長調(1865年):ドヴォルジャークの交響曲中,全楽章とも10分を超えるのはこの曲だけで,最もスケールの大きな(ところを目指した)作品のような気がします。その分,ともすると冗長で第1番よりもとっつきにくい印象がありますが,何度も聴いてると第1番よりよく練られてる感を受け,はまってきます。自分もちょっと前まで「9曲の中では駄作かな」と思ってましたが,大きな間違いでした。完成後も出版を意図して幾度か校訂され(他の作品も同様),作曲から20年以上してから初演されて好評を博した。
- 第3番変ホ長調(1873年):第2番が冗長だという反省があったのか,第3番は唯一の3楽章形式をとる。第3楽章の素材からスケルツォ楽章を作るよう提案されてもドヴォは受け容れなかったという。このコンパクトさが成功しているといえるでしょう。「ドヴォの英雄交響曲」?
- 第1楽章冒頭8小節を聴いて美しく思わない人がいるだろうか?というぐらい,万人に聴かせたい超絶メロディです。その後の展開は若干グダグダな感じがしないこともないですが,この旋律ですべてが許される。
- 第2楽章は葬送行進曲調で,17分と,全楽章中(そしてドヴォの交響曲の全楽章中)最長になっています。「交響曲第3番変ホ長調の第2楽章,長大な葬送行進曲」ということで,これは明らかに《エロイカ》の影響でしょう(但しこの楽章の調性は嬰ハ短調と,同主の変ニ長調)。そして最近気づいたのですが,ホルンにちゃんと第1楽章の音型が現れる!また全体的にヴァーグナーの影響が強そうな雰囲気(ものの本によると《ラインの黄金》のライトモティーフが見え隠れするそうな)で,特に後半,金管が旋律を強奏する裏の,嵐っぽい弦楽器の動きはいかにもですね。個人的にはドヴォの緩徐楽章のなかでも一番の力作に推したい。
- ティンパニで始まる大胆さ。リズミカルな第1主題と流れるような第2主題のたたみかけ。第3楽章的な第4楽章的な要素を組み合わせ,上述のような4楽章構成にまつわるコンプレックスを見事に解消した傑作楽章!と言うと言い過ぎかも。しかしこんなに愉しい交響曲があっていいのかというくらい,必聴の名曲です。他の終楽章に比べ,地に足が「ついていない」軽やかさがいいですね。第1主題から第2主題に入るところはいつも感動してしまう。この楽章でも,低弦が第1楽章の音型をさりげなく再現(単なる音階だけど)しています。
- 第4番ニ短調(1874年):全体見ると結構野暮ったい曲なはずなんですが,ヴァーグナー的ロマン性から古典主義的なまとまりへと重心が移動してきたのか,均整のとれた印象も受けます。
- さりげない第2主題が美しい!ドヴォの第2主題の最高傑作。後半の展開にベト7第4楽章のパクりっぽい部分があります。
- 第2楽章はヴァーグナー《タンホイザー》の巡礼の音楽(序曲の前半部)との類似性が指摘されており,それを意識してしっかり聴いてみると,たしかにそのまんま。ほんと影響受けやすい人なんですね。後半,《新世界》第4楽章に似た部分があります。
- 第3楽章は野暮ったいけど愉しい。最後に第1楽章冒頭の素材がちょっとだけ帰ってきます。
- ふっきれたような第4楽章。自分の中ではチャイ2の第4楽章と双璧をなす「執拗な・ふっきれた」ケッサク終楽章。第2主題も非常に美しいのですが,あくまで第1主題を執拗にたたみかけてフィナーレを作っていきます。終盤の盛り上がりには,涙が出そうになります。こんな単純でバカっぽい主題で壮大なフィナーレを作ってしまうトヴォはやはり天才だ。
- 第5番(1875年):あくまで拙い知識に基く印象にすぎませんが,第4番まではヴァーグナーの影響が濃い,第6番以降はブラームスの影響が濃い,ということで,やはり第5番はドヴォルジャークの魅力が最も純粋に表れた中期の総決算と言えるのかもしれません。ここまででかなりの達成感があったからこそ,この後ブラ2に刺激を受けるまで交響曲の筆を取らなかったのでは。
- 《田園》との類似性はいまさら言うまでもないですね。古典的構成感では随一の完成度では。
- まんなかで出てくる,きれいだけど脈絡のないトロンボーンソロは永遠の謎でして,自分としては『エニグマ変奏曲のもうひとつの謎』と並んで,死ぬまでに解明してやりたい謎です。元ネタないのかなー。
- 緩徐楽章からアタッカにしたのは妙案で,比較的洗練されたスケルツォにすんなりと入ることに成功している。いきなり始めようとすると第4番や第6番や新世界のような粗野な感じになってしまいがちなので。ドヴォルジャークが書いた舞曲調の楽章の中でも,最も美しく愉しいものと言えるでしょう。この曲で真っ先に虜になった楽章です。
- 「第3楽章がきれいに盛り上がりすぎて手詰まり→強行突破」の典型。なんでこの人第3楽章〜第4楽章アタッカの曲は書かないんだろう。それはさておき盛り上げ方は(くどさは否めないとはいえ)やはり素晴らしい。最後にトロンボーンで主題回帰するセンスも素晴らしい。自分はこういうのに弱い。
ドヴォはシューベルトの影響をかなり受けてそうな気がします。シューベルトの交響曲全集は未聴なので,今後の研究課題。《グレイト》と《新世界》って随所随所似てません?